Beethoven, Brahms and Mozart

  • Beethoven: Sym. #9、Brahms: Alto Rhapsody

 ここのあるラジオ局では毎朝クラシカル・ミュージックの番組が放送されている。今朝、ふとラジオをつけたらベートーヴェン交響曲第9番が流れて来た。おとといあたりには、やはりベートーヴェン交響曲第6番が流れていた。どちらもハインティンク指揮のLSOの演奏。英語がちゃんと聞き取れていれば、どうやら彼らは最近ベートーヴェン交響曲コンプリートのCDを発売したらしい。日本人である私は9番を聴くと「年末だなぁ。」という気分になる。年末と言えばチャイコフスキーの「くるみ割り人形」なんかがよく流れるが、私の中での年末を感じさせる曲はブラームスの「ハイドン・ヴァリエーション」と「アルト・ラプソディー」だ。理由は特にない。ただ、何となく曲の感じが年末感を漂わせる感じがするから。ブラームスは私の一番のお気に入りの作曲家だ。高校時代なんかは「今、ブラームスが生きていたら絶対ファンレター出すのに。」と若気の至りとも言えよう、アホなことを考えていたものだ。それほど彼の音楽には心をわしづかみにされたものだ。大学のオーケストラで初めてブラームスのシンフォニーを演奏したときの喜びは、今でもよく覚えている。オケでチェロを弾いていた仲良しの友人と、ブラームスのスコアを見ながら、その重厚なハーモニーなんかに「しっぶー(渋い)。」と言い合ったものだ。一方、ベートーヴェンのスコアを見ると、これまたよくできている。一つのモティーフのヴァリエーションが至る所に出て来て、全体の構成もすごくしっかりしている。まさに「構築」されているといったかんじ。それに、あんな厳つい顔してたまにすごくロマンティックなメロディーを書くものだから、そのギャップに多くの女性はイチコロだろうと想像する。なにせ、厳しい1楽章の次にものすごくロマンティックな2楽章とか、そんな感じでくるので、その落差の大きさにまいってしまうのだ。普段乱暴者と思っている人に、たまに優しくされると「いい人かも・・。」と思う感じ。いや、ちがうかな。いずれにしろ、ブラームスベートーヴェンは聴くのも、スコアを読むのも大変楽しめる作曲家だ。

  • Mozart: Magic Flute

 先日、テレビのアート・チャンネルでモーツァルトの「魔笛」をアニメ付きで放送していた。その絵がファンタスティックでとても良かった。途中から見たので、最初から見れば良かったと後悔する。テレビのリモコンをいじってチャンネルのザッピングをしていたら、ふと「夜の女王のアリア」が聞こえたので、見てみると「魔笛」のアニメーションだったのだ。もちろん全曲ではないが、有名どころの曲を抜粋で流していた。昔、モーツァルトは大人になって初めて良さがわかると聞いたことがあったが、本当にその通り。子供の頃、ピアノを習っていた私はモーツァルトソナタ集にとても退屈していた。それに比べ、ベートーヴェンソナタ集やショパンは練習するのも楽しくて、ますますモーツァルト離れが進んでいた。曲を聴いてもモーツァルトは同じような曲ばかり。でも、それは大学生のときに一変した。大学とは別のオケで「魔笛」を数曲演奏したのだが、モーツァルトは真の音楽だと気づいた。私が意味する「真の音楽」とは、音楽そのものが目的の音楽ということだ。そこには感情や情景などの入り込む余地はなく、ただ音楽だけがそこにあるということ。私にとってのモーツァルトはまさにそれ。以前、チェリストヨーヨー・マがインタビューで、「モーツァルトの音楽は幸せなセレモニーでも悲しみのセレモニーでもどちらでもフィットする」、というようなことを言っていた。その時彼は、クラリネット五重奏のことを言っていたのだが、これはモーツァルトの音楽全体に当てはめることができると思う。つまり、普遍的なのだ。モーツァルト、やっぱり天才。ただ、こういう風に純粋な「音楽」を楽しむにはある程度の年月とか、経験とかが必要なのかなとも思う。そんなわけで、モーツァルトは私にとって大人の音楽なのだ。